私の最大の過ち、私の課題・・・父へのカミングアウト


 

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昨日まで、昨年、実家の父が、『YSこころのクリニック』で、

面談をしていただいた際の様子をお伝え致しました。

 

今日は、つい先日、佐藤康行と面談をしていただい際の内容を、

お伝えするつもりでしたが、

どうしても、先に、ここで、お伝えするべきことが、

あると、思ったので、今日はそのことを書きたいと思います。

 

先日、佐藤康行は、私の父と面談をしました。

その際に、佐藤康行は、

あることに気づいたことがあったそうです。

 

そのことを、私は、YSメソッド勉強会で、

教えらえることになりました。

それは、私が、勉強会の場で、

 

『最近、気づいたことがあります、

夫と夫の父のことを、解決する糸口が見えた』と、話した時のことでした。

 

佐藤康行は、一言、『何を言ってもいい?』

と、断り、私へ、このように話しました。

 

(実は、瞬間、うわっ!久々、学長の、

『何を言っとも良い?』だ😱、と、思いました…。

でも、とても有り難いことです😅)

 

今回、紀子さんのお父さんと面談した際に、

驚いたことがある、紀子さんはここで、

やって来ていることを、お父さんにほとんど、話していなんだね?、

また、ブログのことも、知らないだね?そのことを見て、

私は、紀子さんのご主人と、

ご主人のお父さんとの関係性と同じものが見えた、

よく、彼のことを、親へ言えない言えないと、言っていたけど、紀子さんも同じだ』

 

と、ハッキリ、言われたのでした。

 

 

このところ、私たち夫婦が、直面していることは、

もっとも恩義のある佐藤康行と、会社に研修に来ている

YSコンサルタントの講師の先生のことを、

誤解しているがゆえに、夫と父との関係も膠着状態です。

そして、どこか、私の中では、夫に対して、

何故、そんなことが言えないのか?

何故、言わないのか?という思いが、

常にありました。

 

ただ、今回、佐藤康行と面談した際の音声を聞いていた時に、

少しづつ、夫が父へ言えない心情が理解出来る自分もいました。

 

昨日まで公開した面談の様子は、

当初は身近な真我の伝え方と

癌が消えていくことを検証することを、

目的に始めました。

振り返りの中で、当然、父はどこが理解出来ないのか?

また、私は、どのように伝えるべきだったのか?という点に

フォーカスしていました。

 

ですが、今回、父へ本当の意味で、

すべてを理解して欲しければ、

この何年も間にやってきたことを話さないで、

理解出来る訳がないということが、

とても良くわかりました。

 

 

 

結婚する前に、佐藤康行は夫へ、

必ず、自分がゲイであるということを、

両親に告げるよう助言していました。

一般論として、息子よりも年上の女性で、

尚且つ、子持ちとなれば、

『何故?』という疑問を抱かれる。

でも、自分の息子が、実は、ゲイだと。

それを承知で嫁に来てくれるといことであれば、

まったく、見え方が変わって来ると。

嫁ぎ先で、私や私の息子が不憫な思いをしないようにという、

佐藤康行の人間心、親心だったのです。

 

 

 

そして、私は、実家の父に、夫がゲイだということを、

告げたことはありませんでした。

 

 

理由は、まず、私は、夫のことを、

そもそも、出会った当初、

ゲイだと思っていませんでした。

 

また、佐藤康行から結婚する前に、

自分の父へ、夫がゲイであることを告げるようにと、

言われたことは一度もありませんでしたし、

私は、私が、納得しているから、あえて言う必要性すら、

無いと思っていました。

 

夫が自分の父へ、やっとの思いで伝えたところ、

母へは、父から、話さないようにと言われ、

夫はそれを忠実に守ったのでした。

夫の母が知らない状態、

私は父へはあえて、言う必要性のないことと思っている中で、

私たちは結婚をしました。

 

その後、このブログでも書き綴った通り、

ゲイを治すプロジェクトの際に、

 

佐藤康行とのやり取りの中で、

自分の父へ夫がゲイだということを、

告げるよう促されました。

ですが、私が取った行動は、

『あのね、宏一さんね、実は、結婚する前から、

女性と子どもが好きじゃなかった、それは、

お父さん方の祖父へ対する誤解からのようなの。

だから、性欲も湧かないし、でも、それを今回、

治す研究会をするの』と、いう話し方だった記憶しています。

また、当時の研究会でも、『紀子さんなんで、自分の親に夫がゲイだって言わないの?』と、

言われた時でさえ、

『いや、ゲイじゃないからゲイなんて言う必要がない』とさえ思っていました。

 

結婚する前に、夫がゲイだと、

もしも、父へ告げていたらどうだったろうか?

 

私の父は、私が離婚してから、私の息子を、

自分の息子のように育てていました。

実際に初めて、父に夫を紹介した際には、

 

『何も好き好んで、こぶつきと結婚をしなくても、

いいではないか』と、言ったぐらいでした。

お酒を飲んでいることもあって、

『孫のそばを離れたくない』と、泣かれたぐらいでした。

 

それを考えれば、

 

『わざわざ、ゲイのところへ嫁がせて、

孫の父親にならなくても』と、反対したと思います。

 

そもそも、夫が、自分で自分のことを、

ゲイだと言うにも関わらず、

何故、私はそのように思わなかったのか?

それは、夫が、私に初めて、

カミングアウトした際の内容を聞き、

自分の捉え方が大きく関係していると思います。

夫は、このように話しました。

 

『僕は、今まで付き合って、身体の関係を持った女性は5人、

でも、ゲイなんだ。ただ男性と付き合ったことはないし、

男性と肉体関係を持ったことが無い』と、そのように話したのでした。

 

当時の私の中では、

付き合った経験も、肉体関係もないなら、

ゲイじゃないじゃないの。とさえ、思っていましたし、

今、思えば夫がゲイじゃないということを、

望んでいたとも取れると思います。

そのためにも、男性との肉体関係の有無という事実が、

もの凄く重要でした。

 

なぜなら、当時の私の中では、

男性との肉体関係の経験が無いということが、

自分の中で、受け入れられる、

一つのボーダーラインでした。

 

なので、当時もしも、夫が男性同士の肉体関係が、

あったらどうだったのか?、

 

恐らく、その時点で、

絶対に結婚は無理だった、

ということだけは言えるのです。

 

だからこそ夫がかつて、男性同士の風俗通いが、

頻繁だった頃には、その状況は、

かつて、自分が決めたボーダーラインを超えているので、

当然、あり得ないという中での苦しみが倍増していたということが、

今ならとても良くわかります。

 

その当時は、余りにも辛すぎて、

親への相談も考えなくもないですが、

母親ならともかく、男親へ相談出来るわけもなく、

仮に、そもそも、何て、相談するのか?

ゲイだとは告げていないので、

相談のしようが無いというのが、

正直なところでした。

 

 

実は、今回、父が佐藤康行と面談をする際には、

事前に相談内容、NGワード等を、

伝えることが出来るのだそうですが、

姉はそのシステムを知らずに、

面談することになりました。

 

私の中では、面談に夫がゲイだという話をでるかもしれないが、

研究会当時に、多少、父へ、

少し告げているという思い込みもありました。

 

また、その当時、

私から夫の説明を聞いた際に、

父は、

『へーー、そんな、

問題を抱えているようには見えないけどな』と。

答えていましたし、

 

そして、現に、最初にゲイを治すプロジェクトの一環の時には、

夫婦で東京に滞在中は、実家の父へ家に来てもらい、

息子の面倒を引き受けてもらっていた経緯もあるのです。

そのようなことがあるがゆえに、

私自身は、父へ、まったく何も、話していない、

とは思っていませんでした。

 

ですが、今回、佐藤康行の面談中の話しを聞いて、

佐藤康行に貴重な時間を使って、

面談をしてもらう以上、双方にとって、

特に、長年、佐藤康行との関わりをもってきた、

私たちが、今回のような状況で、

結果的に肝心なことを、私ではなく、

佐藤康行に言わせてしまったこと、

 

本当に誰にも相談出来ない時に、

唯一の心のよりどころにし、

その度に、真我で答えを導いてくれた人に、

私は、ある意味、相当な不義理をしたのです。

 

今、振り返れば、双方の親が望むことを、

佐藤康行はずっとやって来て下さったのです。

そのようなことを思えば、父へ夫がゲイだったこと、

佐藤康行が何者で、私たち夫婦にどのような存在で、

どのような関わり方をしてきたのか?

然るべきタイミングで、

きちんと、父へは、告げるべきであったのです。

そういう意味では、夫が、両親へなかなか、

真実を伝えられないということ、

最初から時系列で言えない夫を、

『何で、そんな大事なことが言えないの?』

 

誤解を解かない上で、

家業とは違う仕事を始め、

事実上、それを私がやっていること。

そういう状況下が、私だけが板挟みに合い、

何だか悪者にされている。

こんなに苦しいのは、

その誤解さえ解ければ良いとさえ思っていましたが、

現実、私がやっていたことは夫と同じで、

ある意味、夫のことを言える立場ではないということが、

嫌という程、よくわかりました。

 

父は、今回、夫がゲイだったということ、

初めて知りました。

 

また、面談中、

『なぜ、紀子は話がでるのですか???』

 

さらには、ゲイという単語、夫の名前が出る度に、

 

音声越しでも、戸惑っている様子が分かりました。

 

今回、実家の姉は、父をクリニックへ連れて行く際に、

しかるべき目的をもって、また、父も納得の上で、

面談に臨みました。にも関わらず途中で、

父にしてみれば、知らない話、

佐藤康行にしてみれば、

『これだけ大々的にブログを書いているので、

知っていると思っていた。逆に、大多数の人が知っているのに、

お父さんだけが知らない、

孤立をしているように感じた』と、おっしゃっていました。

そのようなことを踏まえてみると、

昨年、父が、癌になったという時点で、

クリニックにどうしても、連れて行きたいのならば、

その以前に、まず、結婚してから何をして来たのか?

佐藤康行と何をしていたのか?講座のみならず、

なぜ、毎回、毎回、足繁く通っているのか、

すべてを、話した上で、父を連れて行けば、

昨年の面談はまた、違うものだったとだと思います。

 

でも、佐藤康行は今回の件については、

このように話していました。

 

何かのついでに話しをすることではない。

何かのおまけで話をするのではない、

それがすべてで、本当に理解するまで三日三晩、

泊まり込みでも話をすることだと

 

 

それでも、今回、面談後、姉が、父へ、

説明してくれました。

『実は、宏一さんは、ゲイだったの』

さすが、にそれを聞いた父は、『えっ!😱!』と、

寝床に入っていた布団からガバッと、飛び起きたそうです。

が、真我の追究のお陰、学長のお陰で、

治ったのだと。その話を聞き、父は、

 

『そうか、だから、佐藤先生は二人に思いれがあるのか~(●^o^●)、

だから、紀子さん、紀子さんって、何回も話をしたんだ』と、

納得していたそうです。

 

姉の援護もあったお陰で、知らないことを聞かされたことに対する、

疑問は晴れましたが、

今回のことをきっかけに、近い日に、

実家の父へ、本当の意味でここで、やってきたこと、

 

佐藤康行にしていただいこと、

すべての話をしようと思います。

 

父親が知らずにいたということは、

ある意味では、父親は、娘によって、

恥をかかされているということと同じなのです。

この話はしなくて良いだろうという身勝手、

この話をしなくても、真我を追究することを、

伝えられれば、癌さえ治ることが分かれば、

まさしく、いいとこ取りに過ぎないのです。

 

今回のことを、きちんと親へ告げられなければ、

 

仕事も何もあったものでは無いということも、

佐藤康行から言われた時、

 

本当にそうだと思うと同時に、

 

身が凍る思いでした。

 

 

今日は、ここまで。

 

 

 



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